noven’s

ただ生きてるだけなのにどこか哀しくて、本人大真面目なのになんだか笑える。おっさん自身を含めたそんな愛すべきダメおやじ達を、少しのフィクションを交えながら紹介したいと思います。

愛すべきダメおやじコレクション #2

#2

 

伝説のT男ちゃんという人がいた。

勝手に伝説にしたのはおっさんなんだけれども。

このT男ちゃん、おっさんが入社したときにはもう五十後半で、何もないところでよく転ぶ人だった。

ヒョコヒョコ歩く姿はなんだか危なっかしくて、滑りやすいステップを昇るときなんかはおっさんそうっと後ろについたもんだ。言葉がイマイチ不明瞭で、何言ってんのかよくわかんないT男ちゃん。身長が低くて禿げてて目が細い。一見穏やかそうだが短気な人で、気に入らないことがあると誰にでも食って掛かるようなところがあった。

そのT男ちゃん、矢沢栄吉と同い年なんだそうで、そのことを絡めて彼我の差異を自虐気味に語ることがよくあった。

「奴ぁギター、俺ぁスコップよう」

T男ちゃんのテッパンである。何度も聞いたその自虐ネタで、休憩所にひととき笑いが起こる。

実際T男ちゃんは年がら年中スコップを持っていた。老眼で細かい文字が読めないのと難聴気味なのとで機器の点検などは無理だったから、大雑把な力仕事ばかり割り振られていたのである。一年の大半はスコップを振るっていた。夏には真っ黒に日焼けして、冬には合羽姿で。

おっさんも加勢に行くことが度々あったのだが、T男ちゃんには到底敵わなかった。粘り強いのである。ペースはおっさんのほうが速い。だがその分すぐヘバる。手が止まってT男ちゃんに目をやると、わき目も振らずに黙々と作業している。仕様がないのでおっさんもスコップを振るう。振るっては手が止まりT男ちゃんを眺める。大きく息をついてスコップを振るう。その繰り返し。

「一服するかあ」

その声を待っていたおっさんはスコップを放り出す。

T男ちゃんは一緒のとき、いつでも缶ジュースを買ってくれた。

窓を開けたダンプに座って、何言ってるかよくわかんないT男ちゃんの言葉にカラ返事しながらタバコの煙を吐いていると「お前、聞いてんのか?」とT男ちゃん。

「あ、いや、ごめん聞いてなかった」というと片方の尻を持ち上げて屁をしやがった。「チッ」というとイヒヒヒと気持ち悪い声で笑った。

 

T男ちゃんはおっさんの知っている限り五回車を廃車にしている。

一ヶ月の間に3回事故ったときにはさすがにおっさんもひいたね。自分の車を潰して奥さんの車を潰してそれから代車も潰した。どうかしてる。

T男ちゃんはスピード狂だった。構内最速の男と呼ばれていた。20キロ制限の構内を60キロで走り、スロープでジャンプする男として有名だった。

むしゃくしゃすると夜の高速に乗り、制限速度を遙かに超えるスピードで走るのだと、自慢げに教えてくれたことがある。心配になるアホである。

 

フェーン現象の日をわざわざ選んで倒れた庭の大木に火をつけて、自宅を類焼させて消防車を五台呼んで次の日の新聞に載ったことがある。

親方に「あっという間に火ィでっかくなったんだろう」と聞かれて「うん」と答えた。

「怖かっただろう」と聞かれてまた「うん」と言った。

親方はしばらくじいっとT男ちゃんを眺めて「はは、馬鹿め」と言った。

 

小便しながら屁をしようとして死にかけたことがある。

 

T男ちゃん、奥さんにだけはやたら強気。

ある日の昼、休憩所に戻るとNさんとT男ちゃんが口論していた。奥さんを邪険に言うT男ちゃんに見かねてNさんが釘を刺したら口論になったという。

T男ちゃんの奥さんが弁当にエビチリばっかり入れるので、どやしつけたら泣き出したというのである。

T男ちゃんの亭主関白ぶりはみんなが知っていた。この前は借りてきたエロビデオを奥さんに返しに行かせるんだと自慢げに話していた。

「あのなT男、俺たちは家にいさせてもらってんだぞ。少しは嫁さん敬え」

「バカヤロウ、いさせてやってんのはこっちだっちゅうんだ、女なんか黙って言うこときいてりゃ…… ぬあっ!」

弁当の蓋を持ち上げたままT男ちゃんが絶句した。何事かと見ていると、

「……ゆんべサスケが食わなかった餌がそのまま入っとる」

とうなだれた。ちなみにサスケとはT男ちゃんが飼ってる猫の名前である。

「な、だからいさせてもらってるって言ってんだ」

何食わぬ顔でNさんがケータリングの弁当を頬張った。

 

たまたま便所で横に並んだので「小便しか出ねえ」とおっさんが言ったら泣きそうな顔でこっちを見て「小便も出ねえ」と言った。

後に前立腺の病気が発覚した。

 

長生きして百まで年金を貰ってやるんだと意気込んで、六十になった途端に「清々した!」と捨て台詞を吐いてさっさと退職していった。その翌年に死んじゃった。

また会えるもんだと思っていた。あんなに元気だったのに、ステージ4の癌だったらしい。発覚した頃には遅かったそうだ。

おっさんがそれを聞いたのはだいぶ後になってからのことだった。せめて手を合わせに行きたかった。

「T男ちゃん…… 嫁さんにやられたんだ」誰かが言って小さな笑いが起こった。不謹慎だと思う者はいない。愉快なおやじだった。ギャグみたいなおやじだった。

今でも時々T男ちゃんの思い出話が出る。そういう時は全員で涙が出るほど笑う。T男ちゃんのことを知らない若い奴まで腹を抱えていて、それを見るとおっさんはやけに嬉しくなる。

T男ちゃん、あんたのことを知らない奴までこんなに笑ってるぜ。あんたすげえな。伝説だよ。